Hanaike Retreat
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この場所の物語

江戸から続く庄屋の家と、秘密の古地図

敷地の母屋は、江戸時代に西境村の庄屋を務めた近藤家の屋敷で、築100年を超えます。いま家主として皆さまをお迎えしているのは、その子孫です。

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実物の西境村絵図

この場所について

  1. AICHI PREFECTURE

    愛知県

    東京と京都・大阪のちょうどまんなか。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という天下統一の三英傑を生み、いまはトヨタをはじめ日本のものづくりを支える愛知。名古屋城やジブリパーク、焼き物の里まで、歴史と現代が車で行ける距離に詰まっています。

  2. KARIYA CITY

    刈谷市

    徳川家康の生母・於大の方の実家、水野家が治めた城下町。いまはデンソー、豊田自動織機、アイシンといった世界的な自動車部品メーカーが本社を構えるものづくりの最前線であり、市の花カキツバタが国の天然記念物として自生する、自然の近い町です。

  3. HANAIKE

    西境町 花池

    その刈谷の北のはずれ、田んぼのあいだに「花池」という小さな地名があります。はないけリトリートの名前は、この地名から。花の咲く池を思わせるこの場所で、ひとつの家が江戸時代から暮らしを紡いできました。

西境村の秘密の古地図

古地図が見つかった母屋
古地図が見つかった母屋

約50年前、母屋から一枚の古地図が見つかりました。題は「三河国碧海郡西境村絵図」。江戸時代の終わり、文久2年(1862年)に描かれたこの土地の地図で、いまは刈谷市歴史博物館に所蔵されています。描いたのは、当時この村の庄屋を務めていた近藤和助。いま母屋に暮らす家主のご先祖です。

なぜ“秘密”だったのか。地図には、隠し田の位置など、村人だけが知るべき情報が描かれていました。添えられたメモには「藩役人には見せるな、村内で使用せよ」とまで記されていたと伝えられています。

田んぼ一枚ごとに違う殿さま

田畑に押された小さな印に注目してください。赤い丸は沼津藩水野家の領地、灰色の四角は旗本加藤家の領地。ひとつの村に複数の領主が割り当てられた「相給(あいきゅう)」という仕組みで、隣り合う田んぼでも年貢の納め先が違いました。土地はまるでモザイク画のよう。庄屋はそのすべてを把握しておく必要があったのです。

地図を読み解く ― 6つのズーム

実物の西境村絵図123456
  1. 地図の名前と持ち主
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    地図の名前と持ち主

    左下に「三河国碧海郡西境村絵図」、そして「文久二戌年」の日付。その近くには「御先祖より代々 近藤和助 家蔵」と読める書き込みがあります。この地図が近藤家に代々伝わってきた証です。

  2. 色で読む凡例
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    色で読む凡例

    悪水川(排水路)、畑、田、屋敷と寺、道、森林などが色で塗り分けられています。黄色が畑、白が田んぼ、灰色が家々。当時の西境のほとんどが田畑だったことがわかります。

  3. 相給 ― 田んぼ一枚ごとに違う殿さま
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    相給 ― 田んぼ一枚ごとに違う殿さま

    田畑に押された小さな印に注目してください。赤い丸は沼津藩水野家の領地、灰色の四角は旗本加藤家の領地を示しています。隣り合う田んぼでも、年貢の納め先が違ったのです。

  4. 検地の記録
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    検地の記録

    寛永2年(1625年)の本多下総守にはじまり、歴代の「御検地」(田畑の測量)の記録が並びます。治める者が替わるたびに、西境村の土地は測り直されてきました。

  5. 境川と尾張
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    境川と尾張

    上を流れる青い帯が境川。その向こうに「尾張領」の文字が見えます。境川の左岸は「境村」と呼ばれ、その西側だったので「西境村」。川底に砂がたまって周りより高くなる“天井川”で、西境村はたびたび水害に悩まされました。

  6. はないけリトリートは、このあたり?
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    はないけリトリートは、このあたり?

    家々が集まる中心部(いまの本郷)から、南へ少し下ったあたり。いまの地図と重ね合わせると、はないけリトリートはこの付近にあたると考えられます(推定)。

もしかしたら和助は、この場所で地図を描きながら、遠い未来の私たちのことを想像していたのかもしれません。160年あまりたったいま、あなたはその子孫の家に泊まっています。

母屋の工芸品

鴉天狗の甲冑
鴉天狗の甲冑

鴉(からす)天狗の甲冑

日本の民話に登場するカラスのような妖怪「鴉天狗」をかたどった甲冑。金属板を槌で叩いて成形する伝統技法「打ち出し」で作られています。眉毛まで一本一本、手で植えられています。

雛人形
雛人形

雛人形

3月3日の雛祭りに、女の子の健やかな成長と幸せを願って飾る、宮廷の人々をかたどった段飾り。母屋の雛人形は、家主のミニツアーで見せてもらえます。

甲冑の見どころ

くちばし・目・眉・額の飾り
金属板から打ち出されたこれらのパーツが、鴉天狗の鋭い顔立ちと視線を捉え、甲冑に生き生きとした表情を与えています。
鼻毛と眉毛
よりリアルな表情を出すために一本一本手植えされ、天狗の厳格で堂々とした顔つきを強調しています。
前立(紋)
天狗と縁の深い扇を紋として用い、魔除けの力と、風を操る鴉天狗の力を象徴しています。

雛人形の段

天皇皇后(内裏雛)
最上段には、最も高い地位を象徴する天皇皇后が飾られます。
三人官女
天皇皇后に仕える三人の女官です。
五人囃子
宮廷で音楽を奏でる五人の楽師です。
大臣
飾り台の両脇で天皇に助言をする大臣です。
三人仕丁
大臣の下の段で、宮廷のさまざまな仕事をする三人です。本格的な段飾りでは、その下の段にお道具が並びます。

家主が在宅のときは、母屋のミニツアーでどちらもご覧いただけます。

和助の覚え帳と花火

『中興年歴覚之帳』の表紙
『中興年歴覚之帳』の表紙

近藤和助は、西境村や周辺で起きた出来事を『中興年歴覚之帳(ちゅうこうねんれきおぼえのちょう)』に書き残しました。そこには祭りの花火の記録が何度も登場します。明治2年(1869年)、近くの寺に祀られた秋葉山(火防の神さま)の祭礼で上がった花火。この地域の「手筒花火」の使用を願い出た記録。そして、隣村の祭りで起きた悲しい事故の記録も。

夏に泊まるなら、刈谷わんさか祭りの花火大会(例年8月)で、和助の時代から続く花火の文化を見上げてみてください。

出典:刈谷市歴史博物館

朝の西境を歩く

古地図に描かれた西境は、いまも歩いてまわれる広さです。約2km・40分ほどの散歩で、古い禅寺、徳川家の重臣・酒井氏発祥の地と伝わる酒井神社、そしてかつて三河と尾張の国境だった境川の堤をめぐれます。散歩ルートの地図は、ご予約後にお送りします。

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